ローマ法王庁、同性愛者の聖職禁止・文書を公表

http://gayjapannews.com/news/news356.htm
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多くのアングロ・サクソン系の人にとって、
これは理解しがたいことかも知れないが、
バチカン教皇庁)が”no gays in the priesthood
(同性愛者の司祭職就任は認めない)”と言う時、
実際は”同性愛者の司祭職就任は認めない”を
意味していないのである。
その本当の意味することは、
「一般的な規則として同性愛は良いことではないが、
例外が存在するであろうことを理解している」
ということだ。
 
今回のように、
言葉と実際に意味するところの区別を理解するには、
バチカンに流布する、イタリアの法に関する概念を
よく知る必要がある。
イタリアの法に関する概念によると、
法とは、理想の表現。
法は、多くの人が必然的に達することのできない、
理想の状態を描いたものである。
この考え方はアングロ・サクソン系の
「法は、市民が実際に行うことを書き取ったもの」
という考え方からは、明らかに排除されているものである。
 
(中略)
 
この価値基準は、
バチカンの聖職者がしばしば我々の生活に対して
厳格な道徳イメージを当てはめようとするのに対し、
より具体的な状況においては、彼らが驚くほどに寛容で、
理解力ある人になりうることを意味している。
例えば、バチカンの政策立案者は、避妊や中絶の問題で、
先進国で教会を軽蔑して従わない多くのアメリカ人が、
たくさんのカトリック信者の述べることによって
興奮してしまうほどには、興奮しない傾向があるというように。
これは、バチカンの聖職者が規則を重んじないということではなく、
むしろ彼らが、多くの人が見落としがちである
理想のまさに本質を信じているということである。
 
もちろん、避妊・中絶の禁止や
神学校における同性愛の禁止が
その‘理想'であるかは、議論の余地がある。
ここで述べたいのは、
教皇庁が決してはっきりと言葉にしなくても、
全ての事象において規則が支持されるのを
期待している人はいない、ということである。


http://gayjapannews.com/news/news265.htm
ローマ教皇庁 同性愛に関する宗教上の規則外を認識