そろそろ、写真を撮ることを始めようかなと、思った。思っただけだけど、けど、確かに思ったんですよゴラァ。

 
写真新世紀
http://www.canon.co.jp/scsa/newcosmos/news/20060125.html#03
 
 今日、写真新世紀展を観た後の帰路に、色々思った。
disorderとか、非同一性を表象するのには、画像よりも「写真」で、
やっぱり、一度「写真」をしてみる必要があるのかもしれない。
それも、可能であればフォーマットの根幹を揺さぶる覚悟じゃないと、
今やろうとしていることは無理かもしれない、というか、多分無理。
 多分、この「写真」は住処ではなく、通過・滞在する場所のひとつで、
しかし、相当深く関わる場所になるだろうと思う。
 
 ここ2年近くの間にデジカメで撮った画像が
もう数万枚単位でHDDに保存されてて、
そろそろ画像から「写真」に移行するのも
さすがにアリかなって少し思ったのもある。
 
 「写真」をやるにあたっては、
わたしの性自認への違和感ってのも無視できないし、
卒論でも扱った「パス」と「リード」の問題も絡む。
そして、現代写真に独特の表象の扱い方に
わたしが憑かれた理由も多分その部分がポイントだし、
私の中で「写真」における内面性や説明の問題に、
まだまだ確信できるコンセプトが持てない不安を
なんとなく解消したいってのもある。
 
 多分、それは、森村泰昌さんとも違う手法になるだろうし、
相当微妙な距離感や時間感覚ってのを身につけなきゃ
できないことなのかもしれない、と、なんとなく思った。
 
 
 ただ、手法はこれからも相変わらずアレゲな方向で(爆)、
それと、大さじ3杯程度のユーモアが必要。