こまぎれの状態で、文脈を無視して扱われていく情報。

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新装開店☆玉野シンジケート!:「アンテナ22」の感想を読んでいて思ったこと。
 


でも、ゲイ自身がパレードやクラブイベントや
HIV啓発運動でとってきた方針と、あの番組の方針は
基本路線は同じなんですよね。
 
(中略)
 
 そういったある種の「スキャンダリズム」からはじまって、
人と人の関係性を(表面的ではありますが)描くにいたる過程というのは、
実はぼくらが、ゲイのコミュニティに入っていく段階で
経験する過程にほかなりません。
あの番組で、ノンケオヤジが目に付くところから始まって、
だんだん深い部分に目を向けていく過程は、
とりもなおさずその過程をなぞることなんですよね。
また、そうやって衆目を引き付けておいて、
その次の段階を見せるというのもずっと行ってきた表現だった。
 
 行き過ぎがあっては困りますが、ある種の「スキャンダリズム」は、
ともかく自分たちの存在をアピールしようとして
セクシュアル・マイノリティ自身が、「キャンピー」な感覚と称して
選択してきた戦略でもあったわけです。
「当事者が行うのと、部外者が行うことでは意味が違う」
という声も聞こえてきそうですが、
結果としてもたらす効力はほとんど同じなんじゃないかと思うんですよね。
 言ってることに大きな間違いはないんだろうけど、
細かいところが気になったのでメモメモ。
 
 その1。
 この番組が映画や書籍や雑誌記事ではなく、
TVで夜10時台という"微妙にだれた時間"に
民放局で放映されている番組だってことにも
しっかりチェックをいれなきゃいけないかなぁ。
TVってのは、番組の途中である程度視聴者が
チャンネルをザッピングできる。
 
 冒頭5分〜15分の段階では
視聴者はザッピングする可能性がある。
もしも、その時点でチャンネルを移動されると
その場合は、冒頭部のスキャンダル映像だけが
視聴者の印象として残ってしまう可能性があるし、
逆に他チャンネルからザッピングしてきた視聴者には
スキャンダリズムの断片だけが印象として残ってしまうんだ。
 
 そして、この番組はたしか
月曜の夜10時から11時前までの放映だったはずなんだけど、
10時30分過ぎには、ニュースステーションの「スポーツニュース開始」という
一般視聴者にとってかなり大きめの誘惑もあったりする。
 
その2
 最近、YouTubeにはまっているんだけど*1
ネット上では動画の視聴形態ってのが随分変わってきている。
YouTubeだと、映像を「通し」で視ることが減ってきて、
よほどのムービーじゃないと断片的にしかチェックしない、
ネット動画だと、長くて20分が限界かな、自分の場合。
 
その3
 冒頭部にかなりスキャンダルな映像をもってくるということは、
いわゆる「道徳的な家庭」で当該コンテンツを一緒に観賞することを
妨げることに繋がるんじゃあないかなぁ?
保守的な親だったらTVのチャンネルを変えさせるってのはありそう。
 
 例えば、タモリ倶楽部のオープニングなんかを
親と一緒に眺めているとちょっと冷たい空気が走る、
そんな感じ(汗。

*1:視るだけじゃなくて、自分でminiDVカメラを使って動画を撮影していたりします